- 2022年8月8日
『死の家の記録』【書評・感想】ードストエフスキーが描くシベリア監獄のリアル
あまりにも有名だが、ドストエフスキーは、かつて死刑囚であった。 若き日のドストエフスキーは、ペトラシ……

イーヴリン・ウォーといえば、このブログでも何度か紹介しているが『回想のブライズヘッド』や『大転落』、『スクープ』といった作品で知られる、20世紀イギリスを代表する小説家である。
ウォーは中流家庭の家に生まれオックスフォードを中退した人物で、彼の貴族への憧憬や伝統を愛する一種の保守思想は『回想のブライズヘッド』においては耽美的な世界観という形で結実しているが、『大転落』などの初期の作品では現代社会へのシニカルな痛烈な批判に現れている。
そんな皮肉屋のウォーの作品の中で、風刺の対象を自分自身とした小説が『ピンフォールドの試練』という小説である。日本では、吉田茂の息子である吉田健一が翻訳し、吉田健一訳は今でも白水Uブックスで容易に手に入れることができる。
もっとも、ウォーを初めて読むという読者には先述の『回想のブライズヘッド』や『大転落』、『スクープ』あたりの作品をおすすめしたいという正直な気持ちもあるのだが、それらの小説についてはすでにこのブログで紹介しているので、今回はウォーが自分自身を風刺した異色作である『ピンフォールドの試練』について紹介していきたい。
まずは『ピンフォールドの試練』のあらすじを、簡単に紹介したい。
主人公ギルバート・ピンフォールドは、田舎の屋敷に暮らす中年のカトリック作家である。彼は不眠に悩まされ、思うように執筆ができず、酒と睡眠薬に頼る日々を送っていた。そんな彼は、療養もかねてセイロン(スリランカ)へ向かう船旅に出る。
「あいつの眼つきであいつがわたしの電波を調べていることがわかったんだ」
ピンフォールド夫人は悲しそうに彼の方を見て、「あなたはほんとうにどうかしているのね」と言った。
イーヴリン・ウォー『ピンフォールドの試練』(吉田健一訳、白水Uブックス)37ページ
だがピンフォールド氏は船に乗り込んでまもなく、奇妙な声を聞きはじめる。自分への悪口、脅迫、そして殺人事件……。
声は次第にエスカレートし、ピンフォールドは、何者かが船内に仕掛けた装置で自分を陥れようとしているのだと信じ込んでいく。
この小説が特徴的なのは、読者にはピンフォールドが幻聴を聴いていることが最初から分かっているということである。ピンフォールドと船の乗客の明らかにずれた会話や、幻聴の痛烈な皮肉こそ、この小説の読みどころである。
そして『ピンフォールドの試練』は、どこまでが幻聴でどこからが現実なのかといったことをテーマにするのではなく、あくまでピンフォールドの幻聴や被害妄想を描き続ける。
ピンフォールドはどうなってしまうのか。結末はぜひ本編で確かめてほしい。
ここで、『ピンフォールドの試練』の執筆背景についても簡単に触れておきたい。先述の通り、作者イーヴリン・ウォーは辛辣な風刺とブラックユーモアを身上とした小説家である。

そんなウォーが『ピンフォールドの試練』を書いた背景には、1954年の初めに睡眠薬の臭化物とアルコールの過剰摂取が原因で、幻聴に苦しめられるという経験をしたという実体験がある。
本作は、その自らの幻聴体験を素材として、1957年に発表された晩年の小説である。なお、当時ウォーは畢生の大作である「誉れの剣」三部作を書いている最中であった。それでもウォーは、自身の体験を小説という形で書き残さずにはいられなかったのだろう。ある種の衝動によって書かれた作品が『ピンフォールドの試練』なのである。
ここからは、『ピンフォールドの試練』の内容について感想と考察を書いていきたい。
改めてになるが、『ピンフォールドの試練』の無二の魅力は、皮肉屋のウォーがほかならぬ自分自身に風刺を向けていることにある。
冒頭の章は、主人公ピンフォールドの人物像を描くことに費やされるのだが、これはウォーの自画像にほかならない。カトリックへの改宗者であること、現代を嫌い過去の価値観に固執していること、偏屈な気難しい老人を演じていること。これはまさにウォー本人である。しかし、その批判的な筆致には一切の遠慮がない。そこに読者は作家としてのウォーの凄みを感じるのである。
そんなピンフォールドは薬の副作用の中で妄想の世界を生きていくが、その姿は『ドン・キホーテ』の主人公のようである。
セルバンテスの描いたドン・キホーテは、騎士道物語を読みすぎて現実と空想の区別がつかなくなり、風車を巨人と思い込んで突進していく老人だった。時代はとうに騎士の世を過ぎているのに、彼一人だけが時代錯誤の理想に生きている。
ところでドン・キホーテは本名をアロンソ・キハーノという50歳の男性だが、この物語で主人公が50歳というのには意味があると思う。若気の至りで自分を騎士だと思い込むのとは訳が違う。中年になって、自身のアイデンティティがゆらぎ、大いなるロマンを求める最後のチャンスとして旅に出るのだ。
形のない見えない敵に挑んでいくピンフォールドの姿は、まさに風車を敵だと思うドン・キホーテと相似している。ただしピンフォールドの場合、敵は内なる幻聴にしかすぎないし、大いなるロマンを求めているかというとそうではないのだが(小さなロマンは求めているかもしれない)。だがやはり、ピンフォールドが薬物摂取で幻聴に襲われる根底にあるのは、アイデンティティの揺らぎという中年の危機が一番の背景だろう。
幻聴が何を語るかを決めているのは、ピンフォールド自身の無意識である。だからこそ、声の内容は、彼がかねて抱えていた不安をそっくり映し出す。
ここで、その幻聴(船の乗客がピンフォールドの悪口を言っていると思い込んでいる)の一部を紹介したい。
「何年も前から不能でね。それで死ぬことばかり考えているんだよ」
「そうなのか」
「そうさ。そのうちに自殺するから、見ていたまえ」
「しかしあいつはカトリックじゃなかったかな。カトリックは自殺しちゃならんだろう」
「ピンフォールドは平気さ。あれは宗教なんてどうだっていいんだからね。ただ、信者のふりをしているほうが貴族的だと思っているだけさ」
「もう長くはないな」「なぜ、自殺しないんだろう」
……
「いっそ飛び込みゃもっといいさ」
「しかしそうするとスティヤフォース船長が迷惑する」
「今だって迷惑しているよ、あいつが乗っているもんだから」
イーヴリン・ウォー『ピンフォールドの試練』(吉田健一訳、白水Uブックス)149~150ページ
これらの声は、ピンフォールド自身の無意識が生み出したものである。つまりこの罵りは、彼が心の奥底で自分自身に向けている疑念にほかならない。
カトリックで、紳士で、英国人で……という自分がアイデンティティとして依拠してきたものは、本物だったのか? そのようなアイデンティティに依拠するのは正しかったのだろうか? 中年に差しかかった人間が不意に襲われる、そんな不安を『ピンフォールドの試練』は、ブラックユーモアたっぷりに描いているのだ。
ピンフォールドがこの「危機」をどう乗り越えたのかというオチは、著者のウォー自身と重なるメタフィクション的な仕掛けになっているので、気になる方はぜひ読んでみてほしい。
この記事で何度も繰り返すように、『ピンフォールドの試練』は、ウォーの代表作ではない。ウォーの作品の中では人気度はトップ層からは一段落ちる作品である。しかし、ウォーの皮肉屋としての魅力が味わえる作品であり、そしてウォーの実体験をもとにウォーが自身に批判の目を向けた象徴的な作品である。興味を持った方、ウォーを何冊か読んだことがある方はぜひ読んでみてほしい。
ちなみに、『ピンフォールドの試練』は、シェイクスピアの『リア王』を下敷きにした作品とも言われる。ピンフォールドを苛む女の声には、リアを狂気へ追いやる娘と同じ「ゴヌリル」という名が与えられている。深入りはしないが、この小説が単なる病気の記録ではなく、ウォーという作家が文学的な仕掛けを凝らした作品であるということも最後に書き添えておきたい。
このブログでは、過去にもイーヴリン・ウォーの作品について紹介している。カトリックの恩寵を主題に英国貴族の没落の没落を美しく描いた『回想のブライズヘッド』(Brideshead Revisited)、そしてこの小説の構造分析、デビュー作の『Decline and Fall(大転落)』、アメリカの葬儀会社を風刺した『The Loved One』(邦題:ご遺体/愛されたもの)、そして短編集(現在はやや入手が難しい)についても紹介している。
おすすめ度で言えば『回想のブライズヘッド』だが、ブラックなコメディという路線ではない小説なので、ウォーの風刺を楽しむ小説としては『ご遺体』『大転落』をおすすめしたい。